マンション管理士。クレジットカード会社勤務のかたわらボランティアとしてマンション管理組合活動経験を重ね、2013年8月にマンション管理士として独立・当事務所に参加。
防災分野等を得意とし、千代田区防災アドバイザーを務める一方、管理組合現役役員として管理組合運営にも関わり、管理組合現役役員として常に管理組合目線で活動しています。
氏名 | 飯田 勝啓(いいだ かつひろ) | |
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生まれ | 1958年生まれ | |
趣味 |
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略歴 | 少年 時代 |
東京都中央区日本橋で少年時代を過ごしました。都心の過疎地の小学校、中学校は統合され既にありません。地元でボーイスカウト活動をしてきました。中学生で初めての一人旅の行先が長崎県軍艦島でした。 |
学生 時代 |
東京都立三田高等学校、早稲田大学商学部卒業。1981年ユーラシア大陸を横断し、憧れのヨーロッパへ21か国45日間一人旅。青春していました。 | |
社会人 | クレジットカード会社に勤務し、バブル期には宅建主任者資格(現宅地建物取引士)を取得。本社および国内の支店、それに海外拠点(ホノルル)駐在員として7年間勤務など不動産業務とは違ったフィールドで活動してきましたが、2008年賃貸マンション取得、2010年マンション管理士資格取得を経て管理組合活動に関与することになり、2013年マンション管理士として独立し現在に至ります。 |
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所属 |
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その他 活動 |
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得意分野 |
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私のマンション管理との関わりは、とある投資用マンションの管理組合での悔しい思いからでした。
そのマンションは、管理者が管理会社と規約に定められるいわゆる第三者管理者方式で、理事会が存在しませんでした。そして、その管理者は十数年前に倒産し、その後を引き継いだ管理会社が次第に暴走していきました。
不要な修繕工事の実施、修繕工事費用への上乗せ請求、修繕積立金の決議なしでの取り崩し、管理者所有区画を高値で組合に買い取らせる議案、役員資格の管理会社社員限定など信じられない暴走でした。総会への出席者と言えば組合員の無関心な意識を反映し、毎年1〜2名のみ。意見を言おうにも議長への委任状に押し切られる、そんな状況で先行きに不安を感じ、もう一人の賛同者とともに区分所有者による理事会組成を申し入れしました。
ところが、彼らの反応はそれを一切認めないという強硬なものでした。総会での議案化を要請しても拒まれ、最終的手段である区分所有者の五分の一の賛同による集会招集をかけることになり闘いが始まりました。
しかし、自社の利益しか考えないこの管理会社からは、個人情報保護の名のもと区分所有者の連絡先が一切明かされず、独力で切り拓いていくしか方法がありませんでした。そこであらゆる手段を使い電話連絡先を調べ、近県の所有者宅には直接訪問するなど区分所有者のひとりひとりに連絡をとり、管理の実態をありのままに説いていきました。
この間、様々な妨害工作があって、水面下での苦労がたくさんありました。しかし、当初、無関心であった方々も耳を傾けてくださるようになり、次第に賛同者の輪が広がっていきました。
そして、2回の総会を経て、最終的に規約改正に必要な四分の三の賛同を得ることが出来ました。結果、その管理者(管理会社)は撤退を余儀なくされることになりました。
この一連の活動の中で、正義は勝つこと、区分所有者ひとりひとりの力は弱くても一つにまとまれば大きな力になること、そして合意形成の大切さを学ぶことができました。この管理者との壮絶な闘いは一言では言い尽くせません。また何かの機会にお話ができればと思います。
私にとってのマンション管理は、自分のマンションの管理組合を守るために始めた勉強でした。その後、管理組合の皆様とお話をしていく中で感じることは、管理組合運営にはどこも共通の悩みがあること、そして管理組合運営を知らないで損していることがたくさんあるということです。
そんな点について私の経験と専門的知識からアドバイスすることで、管理組合の円滑な運営が実現し、管理組合の皆様のお役に立てることができることが、私のモティベーションのもとになっています。
こんな想いから、昨年、前職を退き、現在のマンション管理士としての世界に身を置くことになりました。今も、これからも管理組合の皆さんの利益を守ること、そして快適なマンションでの暮らしを実現することを通して社会に貢献することを目指しています。